僧侶、冠位は紫色が最上位

kesaよくお坊さんに見かける袈裟や衣は、紫を身に着けているイメージがあります。
これには訳があるらしく、実は紫色は、古くから特別な意味を持つ色と考えられてきました。
たとえば、聖徳太子の時代。貴族の冠位は紫色が最上位の地位を表す色でした。僧侶でも紫の衣を身につけることができるのは最高位の僧侶に限られていたほど。その後、こうした考え方は一般にも広がり、紫は気品や風格を備えた色として尊ばれるようになっていったそうです。

日本では、70歳の誕生日である古希祝いや、77歳の誕生日の喜寿祝いにも用いられているカラーです。
紫色は、心と体のいやし効果がある色。先人達はそれを経験から知っていて、不安な気持ちの時には身近に紫色のものを置いていたといいます。

だから、古希や喜寿のお祝いには長寿への敬意といたわりの心が込められた紫色をキーワードにお祝いを。もちろん紫色にこだわらなくても、その心を大切にしてお祝いをしましょう。

ところでなぜ古希というのか、言葉の意味を調べると、

古希の由来は中国の詩人、杜甫の「人生七十古来稀なり」が由来だそうです。
古希の由来は、中国の唐の詩人であった、杜甫(とほ)の「曲江詩」(きょっこう)には、「酒債は尋常行く処に有り、人生七十古来稀なり」とあります。これの訳は「酒代のつけは私が行く至る所にどこにでもある。しかし、70年生きる人は古くから稀である」となります。この詩句から、70歳を迎える人を「古希」(を迎えた)と呼ばれるようになったとのこと。

原文の表記は古稀ですが、「稀」の文字は常用漢字にはないので現在では「希」と書くことが多いです。

唐の時代は今から1000年以上前でありますので、その時代で70歳まで生きるのは非常に希であったため、現代よりもっと燦たる長寿祝いであったでしょう。
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イスラム教の創始者

イスラム教の創始者

イスラム教の創始者はムハンマドと言います。彼はメッカの名族の一員として生を受け、成長してからは隊商の一員としてシリアとの交易に従事していましたが、610年にアラーの啓示を受け、イスラム教を創設しました。これが40歳ころのことであったと言います。

しかし、イスラム教の布教は、旧来の宗教を信仰するメッカの同族との対立を促すことになりました。そのため、ムハンマドは信徒を連れてメディナ市に逃れることになります。これを「ヒジュラ(遷都)」といい、この出来事があった622年がイスラム歴の元年と定められました。

ムハンマドはメディナの経済力を背景に力をつけ、630年にメッカを征服、この地をイスラム教の聖地としました。しかし、その後も各地への侵攻を続け、632年に死去するまでにアラビア半島を統一、以降のイスラム帝国の地盤を築きました。彼は宗教者としての側面のみが語られがちですが、その政治的、軍事的手腕にも秀でたものがあり、世俗の主君としても評価するべき部分は多いと言えます。

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イスラム教のコーランとは

イスラム教のコーランとは

コーランはイスラム教の聖典で、唯一神であるアッラーが最後の預言者に任命したムハンマドに下した啓示のことを言います。名家に生まれ商人として暮らしていたムハンマドは悩みを抱えており、40歳頃から山の洞窟でしばしば瞑想にふけっていました。

ある日、いつもの様に瞑想をしていたムハンマドは金縛りに襲われ、天から大天使ジブリールが現れます。ジブリールはムハンマドに対し、「誦め(よめ)」という言葉を残して去って行きました。この時から神の啓示が始まり、その後23年の間、ジブリールはムハンマドの前に度々現れては神の言葉を伝えていきました。

啓示を受け取ったムハンマドは預言者としての自覚に目覚め、それを人々に伝え広めていきます。ムハンマド自身は読み書きができなかったため口頭で伝えるか、書記によって記録され伝えられていましたが、記憶を留めるためにコーランを一冊の本にする作業が行われ、現在は全部で114の章からなっています。

このように、コーランを書物の形にまとめたものをムスハフと言います。

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コーランには何が書いてある?

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コーランとは、大天使ジブリールによってムハンマドに伝えられた唯一神アッラーの言葉のことで、神の啓示をそのものを指します。つまり、コーランというのは書物の名前ではなく、書物に書かれている言葉のことを言います。

ムハンマド自身は読み書きができませんでしたが、書記によって記録がなされており、ムハンマドの死後にまとめられた現在の形では第一章の「開端(アル・ファーティハ)」から始まり、最後の章である「人々(アン・ナース)」まで全部で114の章からできています。

各章はムハンマドに下された啓示のひとつひとつがまとめられており、中でも第一章の「開端」は非常に重要視されています。これは、ムハンマド自身の言葉や行動についての証言をまとめた「ハディース」という言行録中で、「祈りの中に開端を入れない場合、その祈りは無効である」と書かれているためで、毎日の礼拝の最初の部分に使われており、伝統に則った礼拝を行うイスラム教徒は1日に最低17回は第一章を暗唱します。

イスラム教にコーランがなかったら?

イスラム教にコーランがなかったら?

そもそもコーランとはイスラムの祖、ムハンマドが受けた神による啓示をそのまま書き起こしたものです。それが新約聖書と違う、大きな点はその神による言葉が書かれているという点です。キリスト教の聖書は神でも、神の子のイエスでもなく、その信徒によって書かれたもの。つまり、信徒らによる解釈に近いものといえます。

一方、コーランは神の一部であるため、それを絶対的なものとしてみているのです。そこが、他宗教より攻撃性が目立っているの理由の一つと言えるでしょう。

コーランはムハンマドが直接書いたわけではなくムハンマドを通じ、信徒の暗記によって書かれました。信徒が書き残すことなく、いつまでも口伝でイスラムの教えを伝えていった場合、コーランは生まれません。口伝ですから本当なら新約聖書のように、多少信徒らによる解釈が混じっていくのではないでしょうか?文章化され、固定化された現在のものより柔軟に、年月を重ねるごとにイスラム観的神そのものが変化する可能性があるかもしれません。

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